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歴史
2002/06/01(Sat)

 今日は何となく、「自分」について振り返ってみたい。今までプロフィールを作らないことに拘ってきたのだけど、今日だけは書いてみたいと思う(長すぎて携帯では読めないかも…)。

 私は、身長50cm、体重3010gという標準的な状態で生まれた。3つ上の兄が一人いる。父親は国家公務員(税務署職員)、母親も元国家公務員で現在は主婦。みな健在である。

 その後、私は順調に育っていた。そして、やっと歩き始めたと思った頃…私は、0歳11か月頃に病気が判明した。病気に罹ったのではなく、病気が判明したのである。大人になるまで気づかずに経過することもあるとのことで、私は異常に早く見つかったらしい。それだけ早く症状が現れた…という意味なのだけど。

 その後、1か月ほど大学病院の泌尿器科に入院していた。まだ1歳にも満たない赤ちゃん…母親なしという訳にはいかず、母親は1か月間、ずっと一緒に入院していた。大変だったろうな。子どもが病気なだけでも辛いだろうに…。

 入院をきっかけに、私の成長は滞ってしまった。母子手帳の成長曲線を見ても、一時期だけほぼ横線になっているところがある。せっかく歩き始めたのに、また歩けなくなってしまったのが辛かった…というようなことを、母親が話していた気がする。

 それから、病気とうまく付き合いながら、私は育っていった。特に運動も食事も制限はなく、定期的な受診と薬が付いてまわるだけ。幸せなものだ。

 保育園に上がった私は、元気だった。マラソン大会でも3位になって表彰台に上がったりしていた。自分より身体の大きな子を相手に「身体が大きければいいってものじゃない!」なんて粋がっていた記憶がある。生意気なものさ。

 小学校に上がると、身体の小さな私は徐々に体力面で劣等感を感じるようになる。中学年以降はいじめにも悩まされた。辛かった…はっきり言って、毎日が地獄だった。得意だったマラソンも、学年が上がるごとに順位が下がっていって、最終的には後ろから何番目…って次元にまで落ちぶれてしまった。悔しかったけど、それをどうにかする気力もなかった。水泳も苦手で、毎年夏休みには特別練習に借り出された。

 幸いなことに、頭だけは良い子どもだった。ただし、生まれつき頭が良かったというよりは、後天的に作られたような頭だ。小学生低学年から、ポピーとかいう問題集を課されていた。私は毎日それで勉強して、試験の前には母親から特別授業…学力がついたという意味では感謝すべきなのだろうけど、すごくイヤだった。

 珠算も習わされていた。どんどん級が上がっていって、小学4年になった頃には2級になっていた。6年生まで続けたら段を取れたのは間違いない。でも、辞めた。私は珠算学校に通うのがイヤで、サボっていたことがある。学校で友達と遊んで時間を潰してから、珠算学校には寄らずに家に帰る…そんな日々を続けていた。2か月くらい休み続けた頃だろうか…家に電話がかかってきて、サボっていたことがバレてしまった。ふぅ…イヤなものはイヤなのだ。

 中学校に上がると、両親から「勉強しろ、勉強しろ」と鬱陶しいくらい言われるようになる。当然、塾にも通わされた。ずーっと学年10位以内をキープしていた私に、試験前になると一日4時間半、休みの日には最高12時間半も勉強していた私に、両親は「勉強せんでいいのか?」なんて言ってきた。「勉強が何やねん!」…と思いつつ、両親に言われたら…悔しかったから、満足するまで勉強してやろうと思って、かなり頑張って勉強してたのに、どれだけやっても満足はしてくれなかった。「勉強せんでいいのか?」は、結局、ずっと続いた。たまには誉めてくれ…。

 高校に上がった私…この頃はからっぽだった。中学時代に頑張り過ぎた私は、高校に入ってからはほとんど勉強しなかった。両親も、あきらめたのか何も言わなくなった。誰もが参加する高校の特別講習なども、私は一切参加しなかった。「参加しない」と言うと、先生から呼び出され、なぜかと聞かれるから、「朝早く起きるのがイヤだから」なんて答えていた。もちろん勉強しない私は、どんどん順位が落ちていったが、不思議と焦りはなかった。

 高校時代の私を語るのに、「失恋」は外せない。私は高校に入ってすぐの頃、中学時代に好きで好きでしょうがなかった子に告白した。そして、振られた。すごくショックで、恋愛恐怖症のような、女性恐怖症のような…そんな状態に陥っていた。誰かを好きになるのが怖くて、女性からは逃げてばかりいた。男友達とバカな話ばかりして過ごしていた。

 高校卒業後の進路を考えるとき、私はなぜか看護という道を選ぶことになる。最初は男友達のほとんどが進む工学部・理学部という進路を考えていたが、働き蜂のようなサラリーマンにはなりたくなかったし、別に工学や理学に興味がある訳ではなかったから、考え直した。高校3年の夏休み、他の子たちが夏期講習で必死に勉強している頃、夏期講習に参加しなかった私は家で必死に進路を考えていた。いろいろな学部の解説を読んでいて、「看護」の解説のところで、私はピンときた。それから、看護以外の進路は考えられなくなっていた。

 ただし、看護という道を選んだことを、他の友達には話せなかった。ずっと内緒にしていたのだ。正直、はずかしかった。女の子が苦手だったし、勉強もせずにバカなことばかり言っている私が、看護なんて道に進むということを、友達が聞いたらどう思うのだろうか…なんて考えて。

 進路を決めた私は、大学に入れるように必死に勉強した…なんて言えたら格好良いが、実際はそんなこともなく、看護を学べるならどこでも良いやって感じで、改めて勉強することもなかった。大学受験の勉強が、看護に役立つとは到底思えなかったし…。

 そして、私は某大学の看護学専攻に入った。そこで、リアリティーショックを受けることになる。「ホントにこの人らが看護師になるのか?」なんて思って、はっきり言って落胆した。そして、「自分はこの人らとは違う!」なんて変な意地をはって、孤立していった。自分から孤立しておきながら、さすがに一人っきりなのは辛かった。高校時代からずっと恋愛とは別世界にいた私は、女性と話すのに抵抗があったし、女性に馴れ馴れしく話し掛けている男を見ると、女たらしめ…と忌み嫌った。

 勉強嫌いな私だったが、実際に役立つ知識や経験については身に付けたいと思っていて、夏休みを利用してアメリカへの看護短期留学に参加した。そこで、日本全国に住む同じ目標に向かっている友達ができて、私は変わった。今までの鎖国状態から、大学でも少しずつ周りに溶け込もうとするようになった。それから、看護実習を通して友達も少しずつ増えてきて、仲の良い女友達をできて、私はどんどん変わっていった。今までの自分が、今の自分とは全く別人なのではないか…と思えてくるほど。

 大学卒業を迎え、ついに看護師になった今…高校時代とは逆で、周りは女友達ばかりになってしまった。たまに男友達と遊ぶと、その気楽さに安心する。看護は女の世界…最初から分かっていたことだけど、どうやらなかなかしんどいのかも…今は、女の人とばかり接していて、感覚が麻痺しているのかもしれないけど…。

 実際に看護というものを実践し始めて、はっきり言って楽しい。少しずつ看護師として成長していく自分を感じて、うれしい。勉強嫌いだった私が、いつの間にか自主的に勉強していたりして…私も、ホントに変わったものだぁ。今まで、いろいろな困難があって、かなり遠回りもしたけど、やっと夢を掴みかけているのだね。ただ、このまま終わるのは、イヤって気がしている。今までの目標は、看護師になるってことで、今、実際になってしまった私は…これからどうしたら良いのか。今また、新たな困難に直面している予感がする。

日常 │ トシ@管理者




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